第19話
ハイネ城攻防記
2002年9月下旬
9月25日にハイネ城攻略戦は決行されました。
5月11日に行われた(8話)アカシック氏主催のハイネ城攻略戦「流星の空」と同じく「Pierrot」の守るハイネ城です。
この城の固さは地形要因が結構大きいと思います。今は城門が4マスの城が多くなりましたが当時の2マスの城門で1門に防衛が同数だったと仮定すると 一番固い城だと思います。ただハイネは2門あり、防衛の復帰や南北の移動にも時間がかかり仮定そのものが無意味なのも分かってはいますが。
今回の攻めはギランの後に今後も目的を同じくしていくクランを絞り、同盟関係を再構築して臨んだのだと思います(推測)
BDは宣戦布告クランにはならず、クラン員は同盟クランにjoinして戦争に参加となりました。

基本戦略として南は橋が3マス(城門直前は2マス?)なのでナイトをどんどん送り込みエルフは1列での攻めを行い、 北はエルフを中心に攻めるという物でした。
記憶が正しければ南に行くエルフは1つのクランにまとめたかナイトと同じクラン入り、 その他のエルフはまた違うクランで北に向かったような気がします。

防衛の「Pierrot」は北門での防衛は行わずにT字で布陣していました。
北の攻めは首脳陣が考えた様にはたぶん進んでいませんでした。
一気に奥まで一斉に進み射撃を出来れば良かったのでしょうが、先頭のエルフがダメージを受けるとたいていそこで射撃を始めてしまい奥まで進むことが 出来なかったのです。北の橋は長い上に2マスなので先頭が止まってしまうと迂回して先に出たくても1マスに人が重なってなかなか進めなかったのです。
更にエルフのもろさと搭載量の少なさから奥まで行けても長い時間射撃をすることは不可能でした。後ろのダメージを受けていないエルフが光っている エルフをG-Hで支援するのですが、撃ちながらホイールで掛けているため前のエルフが飛んだり前進してもしばらくは動けないと言う悪循環でした。
南でナイトが余ったのか北の情勢が余りにも悪かったためかナイトがある程度投入されても事態はたいして好転しませんでした。
確かにエルフが狙われる事は減ったのですが、ナイトの通り道が必要なので攻撃出来るエルフの絶対数が減ったからです。
結局北は多大な損害を出しただけで防衛側にはたいした損害も与えられませんでした(撤退したんだったかな?覚えてません)
南は全く不明だったのですが、最終的には防衛を突破することはできず苦杯を喫したのでした。

私は8月中旬に48レベルの50%をぎりぎり越えていたと記憶しているのですが、フェニックスや切断で死亡し戦争前は20%程で、 戦争でも8回?死亡をしており47レベルの40%程度まで落ち、その後切断が連発し20%迄落ちています。

第20話
ケント城
2002年10月
ハイネの敗戦によって戦争経験不足が明らかになりOT等で経験を積むことにしようと話し合っていたそうなんですが、 その矢先にケントを持つ「Sunshine」が10月1日に城を放棄すると情報が入った様です。
ケントではなくWWを取りたいと思っていた人もいたようなのですが、あるクランがケント保持に積極的だったらしく 戦争開始と同時に布告し城を確保しました。
この数日前にはギランが「アーデルハイド」→「エスコート」に、数日後にはWWが「時代の覇者達」→「遊び隊♪」へと変わり、 先の話なのですが11月初頭には2度も苦杯を嘗めさせられたハイネの「Pierrot」が陥落することになったのです。
この時期は何かと情勢の変化が激しくケントも他の勢力が来るのではないかと予想されていたので、しっかりと準備をして 行ったのですが、結果としては誰も来ずあっけなく城は手に入ったのでした。

10月前半頃プリの別キャラとLEの間で何かあったようで、リネの中より日記やBBSでの応酬になっていたのでした。
戦争(ギランだったかな?)でプリの別キャラがLEのクラン員を切ったのが事の始まりだったと 思うのですが、BDとしての戦争ではなく個人参戦の戦争でした。
プリの別キャラを挑発するような発言がLEのあるクラン員の日記に書かれた事により話が大きくなったのですが、これに対してBD内部で反発が 起きたのです(名前は出ていませんでしたが分かるように書いてあったと記憶しています)
最終的には戦争時のことでもあり、日記に謝罪を載せるだけで終わったと思うのですがかなり記憶が怪しいです。

10月25日に15レベル試練の変更やUBのアップデートがあったのですが、 エルフがログインできなくなったりと謎なバグも多発したアップデートだった記憶があります。